こんにちは、矢印タカシです。
もし、この世の中に自分ひとりしかいなかったら、どんなに楽だと考えたことはありませんか? オシャレにも気を使わなくていい、他人に気を使ったりすることもない、自分だけでのびのびと出来る世界です。 私たちの悩みの大半は人間関係です。 うまく付き合えれば楽しい仲間になることも可能ですが、失敗すれば気まずい関係が続きます。 では、なぜ人付き合いは難しいのでしょうか? 今日紹介する「ゲシュタルトの祈り」はそんな悩みを持っている人に知ってもらいたい詩です。
ゲシュタルトの祈り

私は私のことをする。
あなたはあなたのことをする。
私はあなたの期待に応えるために生きているわけではないし、
あなたも私の期待に応えるために生きているわけではない。
私は私。
あなたはあなた。
でも、もし私たちが出会えたならそれは素敵なこと。
でも、出会えなくても仕方がないこと。
ゲシュタルトの祈りとは
この詩はドイツの精神科医フレデリック・S・パールズが創設した「ゲシュタルト療法」の思想を盛り込んだ詩で、彼自身のワークショップでよく読み上げられた詩です。
訳し方によって言い回しが違ってきますが、それよりも内容を理解することが大切なので、あなたなりの解釈でじっくりと向き合ってみてください。
ゲシュタルト療法に限らずカウンセリング療法の哲学や精神をよく表していて、何かの犠牲になることなく自分を大切にすること、他人を尊重すること、それが出来てはじめて健全な人間関係が成り立つことを教えてくれます。
詩を読んで思うこと
過干渉に相手の領域に踏み込んだり、相手の期待に応えようと自分自身を犠牲にしてまで頑張ったり、うまく線引きが出来す悩んでしまうことがありますよね。 そんな時に「ゲシュタルトの祈り」を思い出して考えてみるのもいいですよね。
相手が解決すべき課題を自分が手伝おうとしたり、自分がやるべき課題を相手に押し付けたり、身に覚えのあることも多いですよね。 この詩はじっくり読めば読むほど「うーん」と考えさせられます。
この詩を読んで「冷たい」とか感じるのなら、それはあなたに依存や干渉するクセがあるのかもしれません。 私も最初は「突き放されたような」感じがしました。
でも、私は私。あなたはあなた。という一見当たり前のことが、なかなか出来ないところが人間関係の難しさなのかなとも思います。 頭で理解していても行動が伴わない、分かった気になっているだけ、でも本当に理解したい言葉です。
それでは、また。